ルノワールの病理と表現

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こんにちは。

今回はルノワールの病理と表現について考察して行きたいと思います。

ルノワールは、日本人の私は喫茶店のイメージがありますよね。

調べて行くうちに、とても興味が出て来ました。

今回もしばらくお付き合いください。

ルノワールの病理と表現

今回はルノワールの病理と表現について、解説して行きたいと思います。

ルノワールは1888年47歳の時に、変形性リウマチにかかり、

30年間苦痛に悩まされています。

なぜ、そういう病気になるか?

には、本人の資質によるところが大きいとうかがえます。

リュウマチは、メンタルな要因が大きく絡んでくる心身症で、

攻撃性、陰性感情の抑圧、猜疑心、融通性の欠如が問題となっているそうです。

お触りルノワール

ルノワールは、モデルを描いていると、

ついモデルのお尻を触っていたと伝えられています。

49歳で結婚をするアリーヌ・シャリゴも、10年間彼もモデルをつとめていました。

その、愛撫をした右手から、リューマチが始まり、痛みと変形を起こして行くのも、何かの因縁でしょうか?

リウマチを発症してから、作品価値が高まる

1888年リウマチを発症してから、ルノワールの絵画の質の点で、一段と高い価値を高めて行きます。

まずは、両手が動かなくなります。そして、両足も自由が効かなくなり

大きなスランプに陥りますが、不自由感からに立ち直り、

あの、透明な美肌作成の色を作り出します。

それまでの、印象派から抜け、独自の世界観を作り上げる様になったのです。

年齢で言うと47、48歳の頃です。

ルノワールは、自ら、手足の苦痛や不自由さを患いながら、自由な創造を発展させて行くタイプと言う事です。

ルノワールの生い立ち

ルノワールは1841年7人兄弟の第6子として生まれます。

父は仕立て職人、母はお針子でした。

パリのルーブル界隈に転居し、陶磁器の絵付け職人として

工房で働いたり、20歳の頃、国立美術学校に入学しています。

1865年(24歳)サロンに自作2点が入選していますが

印象派風で評価は高くなく、生活は不安定でした。

ルノワールが彼らしい作品を作り出すのは、35歳の「ブランコ」や「ムーラン・ド・ギャレット」からです。

ノルマンディやシャトウ島など、旅を続けています。

画業でプラスになったのは、40歳の時、イタリア旅行で、デッサンの基礎を学びとったとされています。

53歳、息子ジャンが生まれ、

56歳、自転車から落ち、右腕骨折をしています。

68歳、歩行不可能

になったのにも関わらず、71歳の時に

助手を従えて、彫刻までに手を伸ばしています。

1919年12月3日傑作「水浴する女たち」を完成させて、78歳の人生の幕を閉じました。

リウマチと創造力

初めのうちは、リウマチに戸惑い、抵抗しながらも受け入れ、同化しながら、

視覚から、触覚に移行して行った、マチエールの感触があります。

絵筆を持てなくても、描きたい。

リウマチを患った事で、開花した裸婦の乳白色。

リウマチがプラスに働いた画家の様に思います。

背景を知ると、とても作品に興味が出てきます。

不自由な手で作りあげた、触覚の感触のある作品です。

色々調べてみて、ルノワールが近くになり、ルノワールの作品を、とても鑑賞したくなりました。

参考文献:「作品のこころを読む」宮本忠雄