和紙染めから、浮かび上がるモチーフを描きました。

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今回は和紙をたくさん染めて、そこから出て来るイメージを作品にしました。私は階層のあるマチエールが好きなので、紙から作り込む作品はとても興味深いです。しかし、ともすると和紙が美しいので、工芸作品になり、和紙に引っ張られてしまう可能性があります。偶然出来た線や、マチエールを利用しながら、いかに自分の引き出しから、引っ張り出して作品化に仕上げるという、試行錯誤になりました。

それだけに、日々の意識のストックが必要になって来る様に思います。しかし、ボ〜とした日々を送っていたり、あれこれ考えたり、勉強をしたり、何気無い日常の様々な角度から、多くのクロッキーが必要だと痛感しました。

今回私は、雲肌麻紙に、ペン先に墨をつけ、無意識に線を描き殴りをしました。カリカリとした硬い線を多く引く事は、銅版画のエッチングの様な面白さを感じました。その上に水干絵具で着彩し、薄い和紙をたくさん染め、紙をちぎり、気持ちのおもむくままに、幼児の様に糊で貼って行きました。

そうすると、とても綺麗な空が出来あがり、また、次から次に湧いて出てくるイメージがありました。子どもの頃の様に、紙を加工する作業を楽しんでいました。
和紙を揉む、胡粉を表面にかける、レジンドーサを引く、折って色水につけるなどを一通りしたのち、乾かしてボ〜と眺めていました。

生の雲肌麻紙を墨で裏彩色して、紅茶で3回染めました。

線を描いた和紙の下から、「傘を描いたらどう??」と言う浮かび上がる形があったので、
そこから透明傘のデッサンを始めました。
デッサンを始めたのは良いのですが、傘は工業製品であり、しかも透明で難しく、思う様に描けませんでした。テーマである「透明な傘」を辞めようかな〜?と思ったのですが、ここで辞めたら後悔する!と自分に言い聞かせ、まずは構造から理解を始め、遠近法による楕円を考え、一から描き直しました。

なぜそれを描くのか?言葉を探し始めます。



やっと、傘の構造を理解始めたのは良いのですが、表現化の中で「なぜこれを描くのか?」という問いの中で、私は「膜に覆われている世界」という境界線を意識し始めました。

コロナウィルスという、普段目に見えない世界の菌を避けるため、透明なシートが町中に溢れていて、隔離されています。しかし、その透明なビニールシートで守られてもいます。

人間の体の構造も、全て膜の中にあります。その膜が柔らかく、弾力があり、しっかりしているからこそ、健康でいられますが、薄かったり、欠損していると、炎症を起こしたり、出血が止まらなくなります。また、家も壁がしっかりしていたら安定感がありますが、壁が薄いと、お隣の音も漏れて来たり、雨漏りにもなります。

人間は、生物は、この様な膜の中にある。と考える様になりました。

精神はどうかというと、どこかで自分を守りを入れる「膜」「境界線」を引く必要があると、傘を描きながら思っていました。精神も全開していると、放浪される様になります。

今回、このビニール傘を描きながら、今まで世の中にこんなに出回らなかったであろう、ビニールシートと、人を隔てる「境界線」の良い在り方を探る事が、人間関係や家族関係のより良い道の様に思えました。

また絵を描いていると、赤い色が欲しくなり、庭に咲いている椿を描きました。工業製品のビニール傘と、コロナウィルスなどの菌に、反応しない植物を入れ、また命あるものは、自然に枯れていく様を表してみました。

ビニール傘は、私を守ってくれる物だったのかもしれません。

言語化を先にすると、観念的になります。
私は感覚が先にありますが、絵を作りながら、あれやこれや思いついた事を言語化してみました。
ここまで、読んで頂きありがとうございました。
また、お越しください。

F15号パネル 雲肌麻紙・墨・岩絵具