あなたにとって「良い(善い)」「悪い」とは

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みなさんこんにちは!
今回は哲学の学科で、「良い(善い)」「悪い」とはどういうことか?
という抽象的な問題が出ました。
「それはあなたにとって、「良い(善い)」「悪い」とはどういうことか?あなたの考えを述べなさい。」という問題でした。

どんなテーマを扱っても良く、テーマ自体に「良い・悪い」もありません。私は色々書いてみたのですが、最終的には、絵を描く動機の「良い・悪い」について、考察してみました。

絵を描くには、動機があり、なぜ人は絵を描きたいと思うのか?

もしくは、表現をしたいと思うのか?その動機について、「良い(善い)」「悪い」があるのではないか?という視点を持ち考察をして、課題のレポートを提出しました。

以下が原文です。(修正なし)

絵を描くことは、何かの動機がないと始まらない。そこは社会的な刺激や、何かに反応して自主的に作品を作っている。その動機の「良い(善い)」「悪い」について考えてみた。
 「良い」とはどういうことなのだろうか?まず自分の描きたい気持ちの充実度が高い程「良い」に繋がっていると考えた。私は武蔵野美術大学の3年次に編入するにあたり、深く芸術を学びたい。再び絵を描きたいと思い入学をした。目的は知的欲求にあり、絵の技術の向上と、芸術を志すという同じ意識の仲間を作り充実した時間を共有するということだ。
 私は3人の子どもが成人したので勉強を再開した。長年働いた精神科病棟事務で多くの患者さんと接した経験から、やりたいことを実現したいと言う、私の小さな幸福に繋がって来たのだ。
 なぜなら「やりたい事が出来なかった。」と悔やんでいる患者さんに多く出会ったことで気が付いたのだ。患者さんは私の鏡の様に見え、躊躇して行動出来なかった過去を乗り越えてみようという動機を持った。多角的な視野を持ち、環境が整う大学生活は、乾いた心に潤いを満たしてくれる私の幸福に繋がっているので希望があり動機として「良い」と思う。
 なぜ動機として「良い」と良い絵が描ける方向に向かう可能性が高いのかも考えた。大学に編入して学習する事で様々な刺激を受け、知的な分野から表現が実ってくるからだ。ただ闇雲に描く事や、好きなことを描くだけでは独りよがりになってしまう危険性がある。だから、大学に所属している間に、友人と芸術を通して繋がる関係性を持ち、健康面での精神面の向上を図り、私が美術を通して幅広く学習する事で、生活の質を上げるという主観的幸福感に繋げて行きたいと思う。しかし、結果として、上手い絵が描けるわけではないが、意欲的な作品になり「良い」に繋がって来るのではないだろうか。
 逆に「悪い」とは、悪意の動機を持ち表現することだ。また、盗作をして人の作品を自分の物にしたり、著作権を侵害し、その作品でお金儲けをしてしまうことだ。アイディアが枯渇しているのに、お金儲けや地位を保とうとすると、そうなるのかもしれない。
 また、学んだことが多くの人に幸せを与えることが出来なかったら、乾いた心に潤いを満たせなかったら、どうだろうか?まず自分だけの志に向かって精一杯努力することを自分の義務としたい。自分の心を満たしてからが出発だと思うからだ。また、人軸ではなく、描き続けるという習慣化でなければならないと思う。
ミルは「計算できない精神上の幸福感というものを認め、むしろこれが物質上の快楽などよりも質的にすぐれたものである」とした。また、「各人は自由に人生の実験を行うべきだ。と考えた。それを通じて、自分のために、また後に続く人々のためにも、よりよい生き方を見つけるべきだ」と言っている。
 私は、計算できない精神上の幸福感を持って作品を作りながら、たとえ失敗したとしても、自分の人生の実験を自由に質的に向上させたいと思った。

参考資料
児玉聡『功利主義入門』(ちくま新書 2012 年)
菊川忠夫『J・S ミル』(センチュリーブックス 1996 年)
山田英世『ベンサム』(センチュリーブックス 1988 年)


以上が私の課題の文章です。
人はそれぞれの動機を持って、絵を描こうとしています。また、表現をしようとしています。実現させたいと願う先にあるものは、私は絵を描きながら、「哲学」や「色彩」「歴史」「建築」「経済」が全て繋がっている一体感を感じられることにあり、いや応なく社会と自分に向き合う事の充実感にあります。

また、私が「良い・善い」と思う物には理由があり、多くの人が「良い・善い」と思う物にも、理由があります。

その理由を解明しながら探って行き、作品化に昇華させる事が、これからの私の課題だと思っています。